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ザンジバル島  3  ~ 世界で一番美しい島は暑かった ~

念願のザンジバル島でのバケーション。
真っ白な砂浜、コバルトブルーで透き通った海、
世界遺産ともなっている歴史と情緒のストーン・タウンの散策、
奴隷市場の跡、アラブのハーレムだった建物やペルシャ式風呂の跡、スパイス・ツアー。

ザンジバルは予想以上のアトラクションと見所で訪れる観光客を満喫させてくれる。

70年代のロックバンド“クイーン”のカリスマ的なボーカリスト、
フレッディー・マーキュリーが実はここザンジバル島生まれの
ペルシャ系インド人だったということを知った。

観光アトラクションとなっている、フレッディー生家に作られたみやげ物屋も面白かったし、

フレッディーをテーマにした“Mercury’s”というレストランもあった。

(レストラン“Mercury’s”内に飾られたフレッディーの写真)

Mercury’s 内部
今までてっきりイギリス人だとばかり思っていたフレッディー。
言われてみれば、ここ東アフリカに多くいるインド人顔ではないか。

でもペルシャ系だからか、アフリカでよく見るインド系の人たちに比べ
色も白く、白人っぽい。
ただあの毛深さと目は確かに中近東であるなあと変に納得したりする。

ゲイであり、若くしてエイズで亡くなったフレッディーとエキゾチックなザンジバル島が
不思議なまでに自分の中でシンクロしていく。

もう一つ、 日本人としてとっても興味を引かれていたのが、
ここザンジバルには船乗りを相手にしたバーを営む“からゆきさん”たちがいたという話。

つい40年前までここストーン・タウンに住んでいたらしい。

島の人たちに愛されていたと言われる
彼女らが住んでいた長屋風の建物を見にいった。

当事のまま残っており、今でも地元の人たちの住居として使われていた。

からゆきさん住居
その長屋風建物の前で写真を撮っていると、
イスラム教徒の真っ白な服と帽子の子供らが遊んでいるのが目に入る。

縺薙←繧ゅ′驕翫s縺ァ縺・◆_convert_20090310202330
近所の人たちに話しを聞いてみた。

自分が日本人だと言うと彼女らが住んでいた角部屋と入り口を示してくれる。

2階の床を支える支柱には、彼女らが住んでいた部分だけ、
夜這い防止用として付けられたという棘の鎖が柱に巻かれており、
そのまま残っていた。

ちょっと見えにくいかもしれないが、2階の廊下を支えている3本の黒っぽい
支柱があるが、有刺鉄線のようなものが巻かれているのが、わかるだろうか。

ここがからゆきさんたちが住んでいた部屋である。

夜這いconvert_20090310202706

ストーンタウンの観光初日のこと。

ここザンジバル生まれだと思われる、中国人女性をストリートで見かけた。

アラブの血も混じっているのだろう。

目の色が少し薄く青がかっており、
きりっとした気の強そうな顔つき。

中国本土の女性とは明らかに違う顔立ちの、
ストレートで長い黒髪を後ろで束ねた、中国系の美人だった。

気が付くと通りの先まで行ってしまっており、写真を撮り損ねた。残念。

からゆきさんたちの姿と、その中国系の女性が重なる。
彼女らも、きっとあんな感じでストリートを歩いていたのであろう。

今目の前に広がるこの風景は、彼女らが見ていたその頃の風景と
そう変わらないはずである。

近所に住むザンジバル人にいろいろと聞きながら、
彼女らがここザンジバルで過ごした当時の様子を想像してみる。

奴隷制度のメッカであった
ザンジバルを支配していたアラビアの王族スルタンの最後のプリンセス・サロメの
話しなど、アラビアン・エキゾチックって感じで興味わきます。

このサロメさん、母親はカーカシアン系の白人でアラブ世界に連れて来られた人なので、
白人とアラブのハーフ。
スルタンが統治していたザンジバル島のハーレムに暮らしていました。
ドイツ人の商人と恋に落ち、プリンセスの座を去りドイツで結婚し生涯をおくります。

数十年後にザンジバルを再訪し、 (当時は船!)

「Memories of an Arabian Princess from Zanzibar」
(ザンジバル島のアラビア王妃の思い出)

という本を書いてます。

日本語で出ているかわかりませんが、
英語であればザンジバルの本屋ではどこでも置いています。

いやー深いですわ、ザンジバル・タウンの歴史。

昼間こういった観光名所を巡っていると夕方になってきました。

夜ご飯です!

ザンジバルと言えば海、海といえば、シーフード! 

楽しみにしてました。

シーフードconvert_20090310203035

ストーンタウンでの夕食は、噂に聞いていた海鮮物の串焼き屋台を毎晩堪能。
ロブスター、蟹、海老、ホタテ、タコ、ザンジバル風お好み焼、どれも新鮮で美味!

シーフード食べ放題!と興奮気味に二人で食べに食べても約20ドル。

夜店

しかし、それにしても この暑さは、なんなんだ。

汗かきの自分は1日にTシャツ2枚を汗でずぶぬれ状態にしてしまうこの暑さ、、、、
予想以上の高温、多湿であった。

今まで行ったケニアやウガンダの各地は赤道直下でありながらも
海抜500メートル以上の場所であったことから、どこも高原のような
涼しい気候の所ばかりだった。海抜0メートルの赤道直下を、
それも最も暑い季節である2月を、自分は甘くみていた。

持参したTシャツ3枚も毎日洗濯しないと追いつかない。
乾いたTシャツを着ても、すぐに汗で水が絞れる程になってしまう。
「ええい、面倒だ」洗ったTシャツを水だけ絞って濡れたまま着ることとした。
これが結構グッドアイディア、しばらくは上半身が涼しく感じられる。
濡れたTシャツを着て、乾くまで、たったの2時間である。

東京の最も暑い時の気温と湿度と同レベルに感じられるこの暑さ、
昼間見た温度計は34度を指していた。

朝起きてから、1日中、そして寝ている間も汗かきっぱなし。
汗っかきの自分には、、、そう、つらい状況である。

旅行中に出会った日本人に
「凄い汗、大変そうですね」と同情コメントまで受領。 

こう暑いとリラックスというよりも、
ぐっと我慢のこの季節という、自分が最も苦手とする、
暑い暑い日本の夏!気分になってくるではないか。

暑さにはめっぽう強く、暑い場所の方が好きだという、うちのケニア人の嫁さんも
さすがにここの暑さには参っているようである。

知り合って初めて彼女の口から“Too Hot 暑すぎる”というコメントを聞いた。

ホテルの部屋で汗みどろになりながら荷物を整理していると、
夜はそれなりに冷えるだろうと、きっと自分は思ったのだろう。

長袖なんかもパッキングしているのを発見、 がっくりくる。

世界で一番美しい常夏の島は  、、、 暑かった。
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Re: No title


ポア! コメントありがとうございます。

タンザニア人の旦那さんがいらっしゃるとのこと。
日本にお住まいですか?
我々も近いうちしばらく日本に戻ることになりそうなので
お会いすることがあるかもしれませんね!

当方のケニア人嫁さんは日本では絶対”天然○○”タイプに
なるかと思うので(ここでは普通ですが)
面白いネタが出来そうで楽しみにしています。


プロフィール

コジャック

Author:コジャック
在米14年、在アフリカ7年。
2009年夏に帰国し、
アフリカ人の妻と東京在住。

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